Just Like Diamonds

\\ 샤이니 //

SNSを見ていて思うこと

 

こんにちは。

ジョンヒョンさんの死についてTwitterで出回っていたいくつかの意見について思ったり、考えたことを、まとめられないながらも、自分なりに書こうと思う。これを書くことはとても大切なことのように思ったから。

 

彼の選択を否定したくない

これは自殺を選んだ彼をということ。私はこれを見たときは、はぁ?と思った。彼の選択を否定しないということは、ジョンヒョンさんが自殺したということを肯定するということ?肯定はしないまでも否定もしないということだろうか。多分みんな否定したいんだと思う。

自殺は救いなどではない。

彼が思う通りに、彼の選択によっていった、と思いたいだけではないのか。辛いから、出来るだけ綺麗にまとめてみるのか。彼を否定したく無いから仕方なく自殺も否定しないのか。分からないけど…。でもそれらは違うと私は思う。まず鬱病の末期では正常判断ができないから、完全な"彼の"選択ではないと思う。そしてそもそも彼はそうなる前に、生きたいという強い気持ちで、自分自身と闘っていた。自殺を肯定してしまえば、その生きたいという気持ち、そのために頑張り抜いた彼の軌跡はどこにいく??彼の自殺は責められるものではないが、肯定されるべきではないと私は思う。自殺は否定されるべき行為で、綺麗なもんなんかじゃない。私は彼が生きている中で創り出してくれた作品や、今まで沢山の幸せをくれた活動を大切にしていきたい。時にその中には生きたいと闘っている彼も見え隠れする。彼の生きたいという気持ち、幸せだという気持ち、優しい気持ち、悲しい気持ち、苦しい気持ち、、その全てをを大切にしたいから、やっぱり彼がさいごにとった行動だけは認められないな…。受け容れられない…。

 

彼は鬱病と闘い、寿命を全うした

病気になってから余命が決まって、闘って、それを全うしたんだって。

これを見たとき、あまりにも彼が可哀想ではないかと思った。これをジョンヒョンさんに当てはめるのかとね。しかもたくさんRTされていてね。彼の死に自分勝手に救いを求めようとするな!と叫びだしたくなった。私は鬱病の治療法や医者が提案する患者に対する接し方など、いろいろなサイトを少しだが見て回った。(興味のある人は見て欲しい。)それだけでも、彼がまず十分に治療するための環境にいられなかったということは分かった。仕事が仕事だからだ。

2017年12月18日に彼が旅立つことが寿命を全う?本当にそんなことを言うのはやめてくれと思った。私にはジョンヒョンさんがこれからのSHINeeの未来に元々存在しなかったなんて考えられない(物理的な意味で)。2017年12月19日も彼はいたし、それ以降のSHINeeの未来にも彼はいたと思いたい。

今でも私は、なんて世界にきてしまったんだろう…と思ってる。元の世界にはジョンヒョンさんはいて今も5人で笑ってる。どこにいるんだろう。1日でも早く帰ってきてと願ったけど、1人で帰ってこれないなら、みんなで迎えに行くから、どこにいるか教えてください…って。

彼が生きている未来はきっとあった。

こうなることがこれが運命で、彼の寿命だったんだよと、全ては病気のせいなんだよと、自分を納得させることができたなら、いくらか楽になるだろう。

でもそれは違うんじゃない?生きるために必死に頑張っていた彼が、苦しんだことも、あのときにいなくなってしまったことも、運命で終わらせるのはあまりにもつらい。

ジョンヒョンさん本人も、こんなことになるなんて思ってなかったと思う。9月のコンサートで、僕はいつでも準備できています!と言っていたから。あの頃どんな気持ちで頻繁にインスタライブやってたのかな…なんて想像して辛くなったりもするけど。
生きたくて生きたくて、独りでもがいていただろう日々。生きたかったから辛かった。本当に頑張って、苦労した。私はそんな彼の苦労の上に自分の大きな幸せがあるなんて知らずにいたけど。
さっきも書いたけど、死を選んだのは彼の本意ではないよね。この辛さから逃れるためには死しかないというような、私には到底理解できない、言葉では言い表せないほど苦しい心境だったんだと思う。生きたいという最初の気持ちを諦めたあとの感情。

本当は生きたかった。

これを思うだけで、やるせなくて、悔しい。私が知っていたところでなにもできなかった可能性の方が高いけど、それでもジョンヒョンさんの気持ちを少しでも知ってあげたかった。無理だとは分かっていますが、大丈夫だよ、って寄り添ってあげたかった。暗闇にいる彼のところに行って、抱きしめてあげたかった。でももう彼を救ってあげることはできない。今更だと思うようなことがどんどん溢れて、どうしようもない、変えようがないという現実に、絶望を感じている毎日。

だから、しょうがなかった、で、終わらさないでほしい。私の勝手な願いだけど、どうしてジョンヒョンさんが自殺なんてしなきゃいけなかったのか考えるのをやめないでほしい、そんな簡単に彼の自殺を受け容れないで欲しい。作品やインタビュー、コンサート映像を、沢山沢山聴き返して、見返して、永遠にそれを考えていたい。彼を永遠に忘れたくないから、大切にしたいから、、しょうがない、おわり、でおわりたくない。これだけ人に幸せをくれて、愛されている人が、あんな寂しい終わり方って、それが運命だって、、そんなの酷すぎると私は思う。自分が救われたいから、運命、病気のせいで片付けようとするんじゃないの?と思う。

 

彼の写真と自分の体験談と重ねる

彼の写真とともに自分や家族の闘病体験を載せてる方がいて、まさにこの写真の彼は鬱病の〜、みたいに書かれていた。さも、彼も同じ体験をしたかのような形で。

彼が本当にそうだったかどうかなんてわからないでしょう?症状なんて人それぞれなのに、同じ病名というだけで、よくそんなことが言えるね。事実に即してものを言おうよ。彼の体験や気持ちは彼だけのもの。分かるなんて言えないよ。同じだよなんて言えないよ。もし分かってたら、同じものがあったなら、きっと彼はこんなことになってない。

長い間、鬱病と闘いながらも、幸せだった時間だってたーくさんあったはず。それさえも塗りつぶしてしまうことをして、それが彼のため?そんなツイートがたくさんたくさんリツイートされていて虚しかった。確かにコンサートで無理していた、苦しかったっていうのもきっとあると思う。でも彼が一生懸命に笑ってくれた、歌ってくれた、そして私たちにくれた幸せを、悲しみに変えてしまうようなこと、想像の域を越えないのに、言っていいと思う?

彼を自分の体験発表の道具のように使わないでほしい。さもそんなふうに見えるような書き方をしないでほしい。鬱病には気をつけてくださいね!の道具にしないでほしい。(言い方は悪いけど、そう思えた。)

辛かったろう、どうしたら助けられたんだろう、どうして、どうして、、という気持ちは無くならないけれど、想像で彼の体験をつくりあげるのは違うと思う。それを多くの人に向けて発信するのは尚更ね。リツイートをする人はそういった、一見正しそうに見える意見や、病気関連のものをすぐに広めるのではなくて、事実に即したものであるかどうか、もっと自身で精査しないといけないと思う。すごくデリケートな問題なのに、こんなことが想像でポンポン進められていいはずないと思う。

彼について少しでも知りたいというのはわかる。私も、彼の状態について考えることはやめられないけれど、自分勝手に彼の死に救いを求めがちな自分だけど、彼のことを考えるときは、彼から発信された情報と事実、私が見て感じていたことのみにしないといけないと思っている。

 

気持ちは人それぞれだから

という正論。本当にそうだよね。でも。彼を傷つけかねないツイートに、NOといってはいけない、というのは間違っていると思う。ジョンヒョンさんはその人の気持ちだけについて考えてあげるのが良いと言ってくれた。でもそれとこれは違うと思って。人の気持ちはそれぞれだけど、悪意を持って、わざとジョンヒョさんさんやシャヲルを傷つけるような発言には、NOといってもいいと思うんだ…。

 

誰かを責める

彼の周りの人を責めないでほしい…。周りの人は彼との接点が多かった分、自分のことを深く責めて苦しんでいるのに、ファンがその人たちを傷つけることは、ジョンヒョンさんが望んでることかな? メンバーのことはファンだから責めてるのは見たことないけど、ナインさんや他の人のこと。その人たちもジョンヒョンさんにとってすごくすごく大切な人たちなのに。

ファンでさえ心配していたくらいなのに、周りの人が何にもしてなかったわけないじゃない。助けたかったに決まってるじゃない。それでもダメだったんだよ。だからって、仕方ないで終わらせることは気持ち的にできないけれど、人を責めるのは違うんじゃないかなと思う。誰のことも責められない。責めたってなにも変わらないよ。

 

まとめ : ときには客観的になってみる

勝手な正義で無意識に彼らを気をつけるのはやめよう。事実に基づいて考えよう。応援しよう。感情的になって、悲しみに浸ってしまうのは、みんなあると思う。私もそればっかり。それでファン同士、傷つけてしまうこともあるかも。でもそれは仕方ない気もする。それこそ人の気持ちはそれぞれだから。でも彼らのことだけは傷つけないようにときに客観的な立場から自分の考えをみたいなと思う。